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法燈継承式の様子

​住職の想い

​本昌寺の歴史とこれから

​ 本昌寺は、江戸時代のはじめ頃、堯蔵院日受上人によって創建された日蓮宗のお寺です。

 二代目の日遠(にちおん)上人は、日蓮宗を代表する高僧であり、総本山である身延山久遠寺の法主猊下も務められました。

 

 平成の時代においては、先代である師父が住職の時に、阪神淡路大震災を経験します。私は当時、中学生でした。

 築220年の本堂が半壊し、

「これは何とかしないといけない」

と、寺檀一体となり、本堂・客殿・庫裡・山門の全面的な建て替え工事が計画されました。

 伽藍が一新されたのは平成14年。

 檀信徒の皆様のお力添えにより、現在の立派な伽藍を整えて頂きました。

​ 今の本昌寺があるのは、時代時代においてお心を手向けて下さった有縁の皆様方のおかげであり、そのことを忘れずに励むことがまず第一。

 その上で、この立派な伽藍が砂上の楼閣とならぬよう、未来を見据えた寺院運営に勤めて参ります。​

スタッフとの集合写真

​地域と住民の結びつきが強い
だんじりの町 岸和田

 岸和田市は「だんじり祭り」を軸として、地域住民の結びつきが強い地域です。

 私もこの土地で生まれ育った岸和田っ子で、地元五軒屋町の団体に所属しています。

 近隣には古い歴史をもつ岸和田城があり、国指定名所 岸和田城庭園(八陣の庭)をはじめ、歴史的に価値をもつ資料や逸話の展示を行なっています。

 娘が通う小学校で、PTA会長の任をお受けした時、全国の子どもを対象にしたアンケートで、面白い結果を目にしました。

「地域の行事に参加しているか?」

という問いに対する答えに、

「はい」

の割合が全国平均20%代に対して、岸和田市は60%代を叩き出しているのです。

​ これは、祭りコミュニティの影響によるものだと推察できます。

 子供から大人まで、当たり前に参加することのできる大きな祭りが存在し続けている町は、時代と共に珍しくなってきているのかもしれません。

 日本と一括りに言っても、その環境は地域によって様々です。

​ この街と共にどんな未来を描くことができるか?

​ 歩みを進めていく中で、模索して参りたいと思います。

檀家との写真

懐は深く
柔軟な姿勢を大切に

 前述しましたが、本昌寺の第2世は、日遠上人という日蓮宗を代表する高僧でした。この方は、厳格に日蓮聖人の教えを守り、伝えていたと言われています。

 とても印象的なエピソードがあります。

 徳川家康公が晩年、側室にお迎えしたのが養珠院(ようしゅいん)お万の方(通称:お万様)であり、日遠上人を自身の信仰の指導者としていました。

 このお二人にまつわる話です。

 日蓮宗の総本山である身延山には、日蓮聖人のお墓があるのですが、その山に連なり、七面山という修験道の山がありました。

 修験道は文字通り、修験の道を意味し、断食、瞑想、滝の下での祈りなど・・・禁欲的な修行を指します。

 それゆえ女人禁制の山となっておりました。

 その七面山に、お万様が

「どうしても登りたい」

と日遠上人に直談判に向かい、

「女人成仏を説く法華経において、その法華経を守護する七面大明神のいらっしゃるお山に、法華経を信ずる女人(お万様のこと)が登詣できないなど道理に合わない」と・・・

​ 白糸の滝でその身を浄め、登詣のご意志を訴えます。

 当時は、女人禁制を解くことで、どんな天罰・仏罰が降るのかと大騒ぎになる時代です。

 ですが、日遠上人はお万の方が七面山に登ることを許可し、混乱をきたす身延の僧たちを黙らせたのです。

 ここで、私が感じたのは、固定観念に囚われずに物事を見ることの出来るお万様の柔軟さと、それに呼応する日遠上人の懐の深さです。私も、日遠上人やお万様のように、大切なことは曲げない強さを持ちながらも、その場に応じて柔軟な対応ができるような、懐の深い住職でありたいと思っています。

住職が歴代住職の墓前で読経
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